いわゆる文系の専攻である社会学や経済学が存在する意味とは?

おはようございます。

色々あって学生時代の研究に触れる機会があって、論文を読んでいました。

私の研究自体は非常にニッチであるため、同じような分野の中でも知らない人が大半を占めるような内容だと思います。

数学やら物理、化学ってのは「未知なるものへの挑戦」であって、教授がいるような学問の中ではやはり偉大であるなと常々感じます(自分を持ち上げているわけではなく)。

で、つい最近、同期とご飯を食べているときに「いわゆる文系と言われる学問の学者って、何を論文として提出して、何を正しいとしているのか」という話になりました。

言われるまで全然考えたことがなかったのですが、言われてから非常に気になるようになりました。

例えば物理、化学、数学なんかの基礎研究学問は「有識者が何十人も集まって、その事実が正しいかどうか検証をする」わけです。

最近で言えばabc問題なんかそうですよね。

様々な知識だけでなく、本人が作った理論があるためその検証に時間がかかりました。

結果的に、我々が考えられないような異常な頭のつくりをした人たち(天才という意味ですよ)がやっと「これは正しい」という結論を出しました。

検証というのは「全てが論理的に間違っていないか」を確かめる事です。

一方ですが、社会学や経済学って何が正しいとして研究を進めていくのでしょうか?

私が一時期考えた歴史学なんて今考えるとその極地ですよね。

歴史って事実は一つしかないのですが、自分が考えた説や理論は「文献/証拠を発見するかどうか」ってだけで決まる気がします。

間違った理論を組み合わせて理論を構成しても、それはただの嘘ですから。

仮に社会学や経済学が正しかったとしましょう。

正しいのになぜその通り実行せず、何通りも理論がでてきてしまうのでしょうか?

このように整合性が取れず、また確証もないようは話を理論として論じるのは如何なものかと最近よく思います。

良く「その仕事は生産性がない」などという話を聞きますが、社会学や経済学を語るだけの仕事は何を生み出しているのでしょうか。

何が言いたいかというと「答えも確実性もないような話を学問として認めていいのか?」と思うわけです。

いわゆる文系の学問は外的要因で理論がコロコロ変わってしまう点が難しい?のか、学問としては非常に微妙なところですね。

経済の話しだって、いわゆる権力者が「次はこの株だ!」と言えばみんなが買う。

皮肉なことに一時的に値段はあがっても、ある程度値段が上がって売りに出す人が増えると結果的に売りが殺到して開始値より下回ってしまう。

なんだか言いたいことがうまくまとまりません。笑

まぁ一番言いたかったことは学問として売り出しているのであれば、一定の根拠に基づいた理論があって、その通りに行動してほしいということです。

で、そういう仕事、特に政治にかかわる人は正しい知識、正しいとされる理論に基づいて行動してほしいです。

今回の実質賃金が上昇が減少していたという話も減少していた、という数値が何を意味しているか政治家の方々は皆さんわかっていますよね?

韓国問題のときには黙っていた民主党の方々がここぞとばかりに自民党たたきを始めましたが、問題の根本と現在の経済状況を踏まえたうえで適切な議論が行われることを切に願います。

そういうことを一応大学で勉強してきた方々が政治家には多いんですよね?

最近政治に不満がありすぎて、その手の記事が増えてきましたね。笑

私も出来れば書きたくないので、政治家の皆様頑張ってください!

 

 

 

 

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