こんばんは。
PCが重いのと、海外ドラマのSUITSにドハマリしてしまったため更新がだいぶ滞ってました。
昨日、初めてホリエモンこと堀江貴文さんの著書を読みました。
今回はすべての教育は「洗脳」であるを読んだのですが、読んでる間終始頭の回転が止まらず、色々と考えさせられました。
Contents
とりあえず何でもやる中学生時代
この本を読んでいるとき、私は中学生の時を思い出しました。
今でこそ言えますが、当時私は中二病という言葉では足りないくらい中二病でした。
目立てばいいし、勉強ができればモテるという思考しかなく、生徒会長、部長を務め、学年で常に3番以内をキープしていました。
中学生のときの数学のテストは3年間で1度も90点未満を取ったことがありませんでした。
と同時に、こういう位置にいれば
「義務教育の学校と言えど、自分がやりたいことをできるのではないだろうか」
とも考えていました。
で、そう考えていた私が生徒会長になって行ったことはまず
「生徒会長は中学2年生が後期から務め、3年の前半まで行う」
という規則を作りました。
それ以前、私が就任したときは
「3年生前期から、卒業まで務める」
という規則でした。
ここで私の悪知恵が働き
「もしここで規則を変えることができたら、私の第は私が唯一の生徒会長になれる!モテる!」
と考えました。
そう考えた私はすぐに動き出しました。
当時私は学校史上、一番生徒会長らしくない生徒会長だったと思います。
自分がやりたこと思った事をすぐに実行し、目立つことだけを考えていました。
その御蔭で修学旅行で、他県の中学校と交流会を行い、生徒代表として300人の生徒の前でスピーチをしました。
スピーチの冒頭で「拙者、~でござる」とカマす黒歴史を作り、今思えばかなりきつい事を言っていたなと懐かしく思います。
それでも、当時「やる!」と決めたことは必ず実行していたと思います。
周りが「大学に行かなくてはいけない」という理由だけで勉強していた事に疑問しか感じなかった高校時代
そんなイタイタ中学生でしたが、地元で一番の進学校に入学することができました。
高校時代は人生で一番友人に恵まれていたと感じます。
ただ、高校の同級生の多くは
「いい大学に行くために勉強するのは当たり前」
という思考の人間が多かったように思います。
この勉強が楽しい!こういう事をやりたい!と強く主張していた人間はほぼ居ませんでした。
私は授業を聞き、テストを受けて載せられた順位を見て一喜一憂している周りを見て、自分が載っていたときは嬉しくも思いましたが
「勉強なんて面白くないのに、よくこんなことで一喜一憂してられるな」
と心で思っている事が多かったです。
これは全く盛っていませんが、私が高校時代に自主的に勉強した時間は、圧縮しても24時間いっていないと思います。
それでもそこそこの成績を取っていました。
今思えば、これでそこそこの成績を取っていた科目はやはり好きで授業を良く聞いていたことが多かったと思います。
私の場合は特に白黒激しいので、興味がない、つまらないものは全く成績がよくありませんでした。
「没頭」ということの経験
今の時代
「好きな事を好きなようにして過ごす時代がくる」
という文言をよく目にします。
これに関して、私はワクワク半分恐怖半分で、そういう時代が来ると思います。
一般的に「つまらない仕事」「つらい仕事」というのは、おそらく今後はロボットや自動化が進む可能性が高いためです。
この本を読んで理由がハッキリしましたが、恐怖の理由は間違いなく教育による弊害だと感じています。
我々はまだしも、教育による洗脳が一番強いであろう50↑の世代の方々は特に恐怖に感じているのではないでしょうか。
そういった常識から外れる事は悪であり、情けなく恥ずかしいことである、と。
と同時に、「没頭する」ということや「好きなことだけをやる」という経験をしていない方達の方が多いのではないかとも思います。
私は好きなことに没頭するときは、他の人に絶対に負けないくらいの集中力を発揮する自信があります。
不思議な事に、没頭しているときって本当に時間の流れが早く、それ故疲れを感じないのですよね。
私の場合はオンラインゲームが一番没頭しました。
幸か不幸か、私はやるゲームやるゲームトップのチーム(クラン、同盟、ギルド)に知らず知らずのうちに入ることが多かったです。
それ故、現状を良くするためにどうするべきか、まとめるためにはどうするべきかを考える事も多く、色々なプレーヤーと話すこともあり趣味や知識がかなり広がったと思います。
没頭しているときが一番頭が働き、色々なことに対してのアンテナが強く立っていました。
「受動的はだめだ、能動的になれ」という本質は「物事に没頭しろ」という一言に尽きると思います。
私の場合はゲームや、あとは学生時代の部活ですが、どんなことであれ「自分が没頭した」という経験を持っている事は、今後かなり重要になると思います。
「没頭こそが学び」について
没頭で物事の効率が上がるという事はかなり多いと思います。
好きなことなら努力を出し惜しまない人の方が多いと思いますし。
皆が皆、同じような事に没頭するという事は考えられません。
没頭によるパワーがそれぞれの分野で集まる事はメリットしかないと思います。
ただ、もしかしたら没頭が集中してしまう分野はあるかもしれません。
が、本当に没頭している方ばかりであれば問題ないのではないのでしょうか?
偏りがあり、人が足りなくなる分野もあるかもしれません。
ただ、そういう分野はブルーオーシャン化し、価値が相対的にあがります。
そちら側に没頭したい人も表れる可能性が高いですし、居なくても問題ないです。(機械や自動化ができず、絶対的に足りない場合はまずいですが)
こうやって社会が形成されていけば、効率化や成長率が高まるだけでなく、ストレスは減り、色々な問題がなくなるのではないでしょうか?
だって好きなことをやっているのですから、上手く組織できれば外的要因は圧倒的に減る可能性が高いです。
そういう可能性が考えられる以上、没頭した経験は本当に貴重です。
知らないと何が没頭なのか、何が好きなのかわかりません。
この本のP85の1文が一番刺さりました。
これを紹介して今回の記事は終わりにしようと思います。
僕にお金や学び、そして何より生きる楽しさを与えてくれたのは、学校ではなく、没頭という体験だったと断言できる。
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