前回のあらすじ
天狗になった結果、勉強せずに浪人になる。
先に述べておくが、浪人生がこの記事を読んで得るものは特にない。
あるとしたら「こんなのがいるなら私は余裕だなw」という変な満足感が得られるくらいだろう。
3浪もしたが、勉強は覚えているレベルでしかしていない。
浪人しようか迷っている人が見たら「これは浪人したらあかんな」と思うかもしれない。
前回の比にならないくらい長文だが、何か考えるきっかけになれば嬉しい。
結論だけ知りたい方は「浪人生に向けて」だけ読んで頂きたい。
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Contents
1浪目
私の県ではまともな予備校がないため、無理を言って一人暮らしで浪人をさせてもらった。
今だから言える、お母さんありがとうそしてごめんなさい。
私は横浜駅の近くにある駿台に通っていた。
相鉄線沿いに一人暮らししていたが、この年は死ぬほどお金がかかったと思う。
駿台の医学部コースに通ったが、ここは入る前にテストがある。
もちろん勉強などするわけもなくそのまま受けた結果、A~CクラスのうちBクラスになった。
AとBは同じくらいの人数比で、CはA,B以外の有象無象という感じだった。
有象無象だったので、Cは教室の広さがBの4倍くらいあった、有象無象感が伝わるだろう。
Aだけは少しレベルが違って、私の代のAクラスには駿台全国模試で1位をとる怪物がいた。
Bはちょっとできるくらいだったろうか、ここでの出会いが浪人人生を大きく変える。
ちなみに私の高校から駿台横浜校に来ていた人間は、私が知る限りでは私を含め4人いた。
1人は私立文系、1人は難関国立、私ともう1人は医学部コースだった。
ちなみに最初のクラス分けで、もう1人の医学部志望はCコースだった。
彼は最終的に医学部を諦め、慶応ボーイとなって学生生活を謳歌していた。
話がそれたがBクラスだった私の周りには、神奈川にある超進学校:栄光学園の人間が多かった。
正直、栄光学園なんて名前聞いたことなかったし、彼らを見ていてそんな超有名進学校だなんて信じられなかった。
ちなみに、先述の駿台模試全国1位の彼は栄光学園出身だった。
そんな彼らと友達になり、お好み焼きを食べるためだけに夜中に鎌倉まで行ったり、横浜駅の地下でミニ四駆vs人間レースをした。
警備員が鬼の様な形相でおっかけてきたのは言うまでもない。
良い仲間と出会えたが、勉強なんて全然しなかった。
夏季講習も訳のわからないまま申し込んだが、やる気のでなさにサボりまくった。
今思えば、この夏期講習のせいで親への負担を増やしてしまった。
予備校へ通わせてもらった感謝もあるが、夏期講習無知勢だった私を過去に遡ってぶん殴りたい。
やる気の出ない理由はいくつかあったが、一番は「本当に医者になりたいのかな」と考え始めた事だ。
この年は私に当てつけるかのように「医療受け入れ拒否による死亡」事故のニュースが多かった。
医者になってからすべき事ができない可能性が高い、という事実を突きつけられて鬱になった。
そもそも医者になりたいのも「これになっておけば間違いない」という漠然とした理由だけだった。
これで勉強のモチベーションが上がるわけもない。
夏休みは夏期講習に行かず、ガンダムをファーストからZZまで全て見た。
あまり内容は覚えていないが、逆襲のシャアが一番好きだった。
女性だとアプサラスに搭乗していたアイナ・サハリン、サイコガンダムのフォウ・ムラサメ、男なら在り来たりだけどアムロかジェリドだろう。
ZZ以降に見たガンダムだと、ユニバース!!で有名な∀ガンダムのハリー・オードが好きだった。
いつも思うけど、何だろうこの謎のサングラス。
ガンダムは元々スパロボ好きだったのもあるが、オンラインゲームの知り合いから富野由悠季という傑物もとい変人の話を聞いて興味を持った。
興味があったら調べて欲しい。
話を戻すが、夏終わりにクラス替え試験があったが、当たり前のように有象無象に放り込まれた。
しかし別に気にしていない、これは自分が悪いしここに落ちたからといって浪人生活が終了したわけではない。
夏終わり、秋初めには志望を京都大学に変えた。
理由は単純だが
- 日本史が好きで、京都が好きだった
- 古典の秋本という関西弁の先生が「京大はいいぞ~」と洗脳してきた
という感じだ。
学部についてはどこでもよかったので、とりあえず理工学部にした。
秋終わりくらいからは少しずつ勉強するようになり、友達と今は亡き駿台の裏にあるドトールに頻繁に出入りするようになった。
そしてこのころから体調が悪くなると同時に、母親に病気が見つかったことが分かる。
あまり気にしていなかったが、心のどこかではきにかけていたのだと思う。
勉強への気持ちののらなさも加速して、センター試験を迎えた。
センター試験前の最後の模試で、何の模試だったか忘れたけど京大のどっかの学部でB判定が出ていた。
横浜に住んでいたので、センターは横国で受けることになった。
高校の同級生で、現役で横国に受かり、横国の目の前に住んでいる仲のいい友人がいたので彼の家に泊めてもらった。
今思えば本当にクレイジーだが、彼が「ウイイレしようぜ」と誘ってきて断ったが断り切れず、夜中の3時までウイイレをした。
センターの前日に、である。
このせいで、センターの当日に起きたのは何と10時半だった。
眠いし風呂入ってないしで急いで準備して、横国の目の前だったので11時過ぎくらいにはなんとかついた。
2日目に関してはさすがに早く寝たが、センター全体は自己採点で8割取れているか取れていないかくらいだった。
とりあえず京大に願書を出して、無事通った。
ちなみに後期は出していない、京大以外の大学は全く眼中になかったからだ。
京大を受けて「絶対受かった」とは思えなかったが「まぁ受かったやろ」とは根拠なく思っていた。
なので後期試験の日程中に、免許を取りに行った。
地元で合宿で免許を取りに行ったが、色々な人がいて面白かった。
酒を覚えたての大学生もいれば、地元のヤンキーもいた。
ここで知り合った人たちで連絡を今でも取っている人はいないが、不思議な集団だったと思う。
正直、受験勉強に比べたら鼻くそみたいなものだった。
自動車学校にいる間はEラーニングでテストを受けたり資料を眺めたが、合宿所に戻ってからは当時はまっていたGENERAL HEAD MOUNTAINをずっと聴いていた。
ちなみに私は良く「はなくそ」という形容詞を使うが、これは駿台のとある数学の先生が簡単な問題を揶揄するときに言っていた影響をもろに受けている。
免許合宿の終わり際に前期に落ちたことが分かったが、正直落胆は少なかった。
勉強量が圧倒的に少なかった自覚もあったし、「まぁまだ2浪やろ」という楽観的な気持ちもあった。
横浜に戻り、当時は住民票が横浜だったので横浜で本免を受けた。
同じ合宿にいた、今でいえば3代目風の身長が160くらいしかない色黒のヤンキーも受けていた。
筆記で合格した後に免許の説明があるが、彼は合格掲示板を見た後に悲しそうな顔で会場を後にしていた。
2浪目
免許を取った後、引っ越しをして実家に戻った。
正直、これから先はどうするか全く考えていなかった。
とりあえず漠然と「京都大学」という目標だけを目指した。
しかし前述の通り、こういう漠然とした目標だけでは人のモチベーションは中々上がらない。
だらだらした日々を過ごしたり、勉強にも力が入らなかった。
母親が病気だったこともあり、この時期は良く家事を手伝った。
料理は元々好きだったが、料理を覚え始めたのもこの時期だったと思う。
それと同時に、母親の料理が美味すぎて激太りした。
私の体重元110㎏のルーツは、浪人時代に食べた母親の手料理が美味すぎたところにある。
あとは尋常じゃないくらいオンラインゲームにハマった。
当時、とあるゲームでアジアで1位のチームでプレイしていた。
PCもぼろかったし、家も田舎で回線はADSLだったから動きはあまり良くなかったが、結構頑張った。
「なんであいつがあのチームの1軍なの?」
と言われることもしばしばあったが、運がよかったし、楽しかったので全然気にならなかった。
オンラインゲームもしていたし、アニメも見まくった。
この年見たアニメで一番は「うたわれるもの」だと思う、あれは本当に良いアニメだ。
未だかつて、最終回だけ見直して泣けるアニメはあれ以外ない。
そんな生活をしていたため、人生で1番勉強をしていなかった年だと思う。
家事手伝いとゲーム、あとは犬の散歩か。
ふと我に返ったときに「このままでいいのか」「生きていて価値はあるのか」と夜中に自問自答することがあった。
こんな事は考えたこともなかったが、人は考える余裕があると考えてしまう生き物である。
私の場合、特に物事に対しての考察をめぐらすので、考えすぎて寝れない日々が続いた。
2浪目は人生で一番ダメな1年だったと思う、当然のごとく受験にも失敗した。
ちなみに2浪目の時が二十歳で、成人式があった。
正直出たくなかったが、母親の頼みで「どうしても袴を着て出て欲しい」と言われた。
死ぬほど嫌だったが、死ぬほど世話になった母親の頼みなので断ることはできなかった。
110㎏のデブが袴を着たので、完全に相撲取りと化していた。
成人式で中学の同級生に会うが、全ての人間に「相撲取りか?」と言われた。
浪人している事もあって肩身が狭いうえに、こんな仕打ちあるか…。
とは思ったが、成人式は久しぶりにみんなと会えて楽しかった。
二十歳だとまだまだ多感な時期で、「今何してるの?」と聞かれて「浪人」とは言いづらいだろう。
けど、浪人していてもちょっとした休みは必要だと思う。
心が許すのであれば、成人式は参加して思いっきり楽しんだ方がいい。
成人式のときに袴を着て記念撮影をしたが、あの写真は一生見たくない。
誰にも見せていないし、自分で見たら吐き気を催すだろう。
芸能人が、昔の写真をこすられて笑いにされていることがあるが、私が有名になったら間違いなく出てくるだろう。
母親が出せば、の話だが。
個人的に一番面白い芸能人のこすられ写真は、笑福亭笑瓶だ。
じっくり見ているとこみあげてくるものがある。
そして浪人2年目の途中で、突然親父が仕事を辞めて実家に帰ってくることが決まった。
3浪目
母親の病気は良くなってきたが、まさか親父が仕事を辞めて帰ってきた。
順調に出世していて、来年は課長になる予定だったらしい。
しかし「どうしても納得できない事がおきた」という事で辞めてきてしまった。
母親は「○○(私)が大学に行くまでは何とか続けて欲しい」と懇願したらしいが、頑固な親父には全く通用しなかった。
親父は帰ってきて、実家の方でも仕事に就くために勉強を始めた。
一方、私は相変わらず勉強をしていなかった。
親父が仕事を辞めて、この先どうすべきか余計に迷ってしまった。
親父は家族のために職業訓練所に通いつつ、夜は部屋にこもって勉強していた。
結果的に、病院で1人だけ募集している役職に就くことができた。
かなり重要なポジションらしく、60定年の昨今で「後輩の育成含めて65まで同じ給与でやって欲しい」と頼まれたらしい。
親父が帰って来てからは、家事手伝いの他に野良作業が増えた。
実家では元々山葵座を持っていたので、父が帰ってきてから本格的に再開した。
田舎故に土地もそこそこあったので、開墾して小屋を建てたり、コンクリートを練ったりして土方作業をした。
2浪目のときはほとんど日の光を浴びていなかったが、3浪目のときは1か月で2浪目に浴びたであろう日光の量を余裕で超えて浴びていたと思う。
農作業をしていて疲れて部屋で休んでいるときにふと考えた
「あーどうしよう。なんか面白そうなことないかな」
と。
正直、3浪目に入った時点ではもう大学なんて行かなくてもいいかなと思っていた。
勉強も面白くないし、親には迷惑をかけているし、ここから4年お金をかけていく意味があるのかと。
そんなとき、農作業をしていて、自分で図面を引いて材料を買って全て自分でやる親父を見て
「何か、専門性のある知識を1つくらい身に付けようかな」
と思った。
父親は昔から土木作業が好きで、大学も国立の建築系に進んだ。
ふと考えたが
「理数科出身なのに、誰も数学やってないから数学やってみるかな」
と思った。
あとはゲームが好きだったから、ゲーム関連の仕事も面白そうだなとはちょっと考えていた。
確か8月だったが、さすがに勉強しないとヤバいと思って高校の時にもらったスタンダードを引っ張りだして1冊解いてみた。
スラスラとけたわけではないが、何となく思い出しながら解けた。
「あーこんなのあったなぁ」
「意外と難しいなこれ」
浪人生とは思えない発言である。
そして、この年の勉強はこれだけであった。
この勉強量で京大など受かるわけもないので、どうしようか考えたときに
「あ、あの大学みた事あるし、あそこは良い土地だからあそこ受けてみるか」
という軽いノリで大学を決めた。
母親の故郷であり、何度か訪問したことがある土地だった。
ちなみに親父も同じノリで、旅行で行ったとある場所に感銘を受けて「大学はここにしよう」と決めたらしい。
血は争えない。
そこを第一志望にして、滑り止めでMARCHを受けた。
全部受けたわけではないが、1個だけ受けた。
滑るつもりで受けていたが結果的には合格していた、驚きである。
そして国立だが、正直受かる気はしなかった。
何せ相手は国立だ、センターも大して取れていない(感覚では7割とれたらいいかなくらい)。
ゆえに親には申し訳ないが「受かった私立だけ行かせて」とお願いしようと思っていた。
しかも、私が受験した年は東北大地震で、受験に向かう途中で新幹線が運休になった事が伝えられた。
駅に行くも動かない新幹線を眺め、途方に暮れていた。
そのとき親父から電話がかかってきて
「俺が送っていく」
と車で受験地まで送り届けてくれた。
未だかつて親父の父親らしいところは見たことがなかったが、この時だけはかっけぇと思った。
未だに忘れないが、高速道路の至る所にトラックが停車してあった。
車が進まないので、行っても無駄だと判断した長距離運転手がみんな路肩が追い越し車線に停車して寝ていた。
それもあって、車の動きは遅々として進まなかった。
結局、宿泊予定(前泊)のホテルに着いたのは朝の4時だった。
朝の4時にチェックインして、6時に寝た、起きたのは8時だ。
正直これで受かるとは思っていなかったが、まさか合格した。
私立と国立を1個ずつ合格し、欲が出たクソデブこと私は急に東京に行きたくなり
「私立の方に行きたい」
と言い出した、まだ21だったので東京への憧れが出てしまった。
が、金銭的にも、父親の思想的にも断固として反対された。
むかついた私は国立の入学手続き書を捨てようと思ったが、捨てる前に親に回収されて知らぬ間に出されていた。
今思えばこうしてくれてよかったと心から思う。
そんなこんなで、とある地方国立大学の数学科に進学することになった。
ちなみに問題集1冊しかやっていないが、他は何をしていたか聞かれるとやはりアニメとゲーム、そしてこの年は死ぬほど韓国ドラマを見た。
1年の終わりに数を数えたが、33作品も見ていた。
私のお勧めはパッと思いつくものだと「オールイン」と「ベートーベンウィルス」だろう。
内容も面白いが、とにかく音楽が良い。
オンラインゲームも相変わらずやっていたが、この年はMMOばかりやっていた。
とあるMMOで族長(この言葉で何のゲームかばれそう)もランカーもやった。
72時間寝ないで狩りをし続けるというとち狂ったこともした。
MMOというゲームは、ゲームの性質上めちゃくちゃ2chに晒される。
私は目立ったキャラだったので、よく2chに名前が載っていると教えてもらった。
ちょっと見たが、明らかに身内しか知らないような事を言っている人もいたので、世の中恐ろしいなと思った。
これ以降はあまりゲームをしなくなった。
そして受験が終わって思ったが、高校を卒業するときに教科書等をしっかり持って帰ってくるべきだったと反省した。
解答のない、分厚い問題集を見ると死ぬほど萎える。
何故か分厚い解答だけが2冊あったりすると、もっと萎える。
重くて面倒くさくて、部室の横にあった棚の中に全部置いてきたのはここだけの内緒話だ。
ちなみにスタンダート3Cは、解答集が「自由に持って行ってください」形式だったため、何冊も持って帰るやつがいてもらえなかった。
こういう形式にした数学の教師にも腹が立つが、「友人の分も」と余計に持って行った奴がいるのを想像すると腸が煮えくり返る。
ちなみに3浪でダメだった場合は
- 自衛隊
- 二子山に入門
- マグロ漁船
のどれかを選ぼうと考えていた。
浪人生(浪人しようか迷っている方)に向けて
長々と語ったが、こんなやつでも今は普通に就職して、松下奈緒似の美人な嫁がいるのだ。
しかも大学院まで出て、論文ホルダーにもなった。
何とかなる気がしてこないだろうか?
紆余曲折あったが、普通の人生を送っていたら見れない景色も見れたし、できない経験もした。
みじめな思いもしたし、死にたいと思う事もあった。
当初思い描いていた人生とはだいぶかけ離れたものになった、小学生の私は自分が22歳にして数学の研究をするなんて夢にも思っていないだろう。
当初の夢の通り、何の苦労もせずに医者になっていたとしたら私はとんでもない傲慢クソ野郎になっていただろうと思う。
伸びすぎて自分を貫いたその鼻で、他の人も串刺しにしていただろう。
浪人して思ったことは
- 夢を持っている奴は強い
- 何のきっかけで考えが変わるか分からない
- どうでもいい経験でも、意外と役に立つ
という事だ。
「慶応大学に行きたい」と思っている人を集めても、結局最後に受かる人間は行きたい気持ちが強い人間だと思う。
KOボーイになってモテたいでも、華やかな学生生活を送りたいでも、モチベーションは何でも良い。
最後は気持ちの勝負になる、気持ちのない人間が落ちるんだろうなと思った。
辛いときに、その状況から逃げ出せずに立ち向かうための力となるのは気持ちだろう。
私みたいに「医者になれば問題ないかー」と思って医者になれる天才もいるが、そんな人間は人口の数%、いや1%以下だと思う。
私は圧倒的に、医者になりたいとう気持ちも京大に行きたいという気持ちも弱かった。
なので落ちたんだろうなーと今になって思う。
だから浪人している、または浪人してでも大学に行こうと思っている人は「本当にそこに行きたいのか」「何故その大学が良いのか」をよく考えると良いと思う。
本当によく考えた方がいいと思う、最後まで全力を出せるかどうかがこれで決まるからだ。
それで答えが出てくるのであれば、そこを目指すべきだと思うし、その気持ちは常に持っておくべきだ。
例えばお金持ちになりたい、とかであればいい大学を目指す必要がない。
お金持ちになるために~がしたい、~がしたいから○○大学の…に行って△を勉強したい!
くらい明確な方がモチベーションは上がるだろう。
短絡的かもしれないが、ツイッターなどで「俺は~だから…へ行く!」と意思表示するのもいいかもしれない。
ただ私は口に出すと意思は逃げると考えているので、そういうタイプの人は声に出さずに心の中で叫ぶと良いだろう。
こういう考え方は就活のときにも必ず使うので是非考えてみて欲しい。
逆に答えが見つからなかったら、現状の自分がいける一番良い大学へ進学しておくことをお勧めする。
浪人中にそういう大学や選択肢が見つかるかもしれないが、リスクは大きいし何より確証はない。
そういう状態で浪人になっても、現役のときよりいい大学に行くことは困難だと考える。
そう思って大学に行っても、思ったものとは違う事も多いだろう。
やっぱりこういう事がしてみたいとか、もう少し上の大学に行けばよかったと思う事は絶対にある。
やはり大学を選ぶときには、自分がいける一番良い大学を目指しておくべきだと思う。
早慶に行きたくても、東大一橋は見ておくべきだと思う。
いい学校(高校も含め)に行く一番の理由は、私は選択肢が広がることにあると思う。
もちろんそこで受けられる教育の質が高いのは間違いないし、その教育によって得られる恩恵は大きい。
選択肢が多い、というのは思っている以上にアドバンテージになる。
私は自分の人生に反省はするが、後悔はしたことがない。
3浪もすると恥ずかしさを通り越して「お前ら3浪の人間みたことないだろ?」という気持ちにもなる。
3浪のせいで、持つ必要がなかったコンプレックスも大量に持つ事になった。
でもそれは仕方ない、自分が選んだ道なのだから。
そしてある日を境に、親への感謝も感じるようになった。
浪人は金銭的にも負担を掛けるが、精神的にも負担を掛ける。
この辺は意識しすぎると勉強に支障をきたす(追い込まれてしまう)のであまり考えない方がいいが、忘れてはいけないと思う。
ちなみに私は浪人しているとき全く考えたことがなかった。
受験生に言うのも難しい話だが、人生哲学は早めに持っておくと良いと思った。
大学に行ってから意識高い系に触発されて勉強する人も多いが、高校くらいで何か1つ持っていると良いと思う。
もし人生哲学、考え方の指標が特にない人にはこの本を紹介したい。
この本は高校の1個上の先輩のボカロ調教師(そこそこ有名なP)がTwitterで紹介していて知った本だ。
私は大学3年くらいの時によんだが、もっと早くこういう考え方を知っていても良かったなーと思った。
凄く単純な考え方だが、物事を常にいい方に考えて気分を上げるという方法は有効だと思う。
イエスマンという映画があるが、あれを見ても良いかもしれない。
9月も終わりに近づき、そろそろセンター試験を意識しだす時期だろう。
私よりダメ人間はいないので、こんなダメ人間日記を最後まで読んでくださった皆さんは大丈夫だと思います。
いや、こんな日記読んでないで勉強しろよ!
というのは冗談です、息抜きになったなら書いた甲斐がありました。
あと4ヶ月ちょっとですが、気合を入れて頑張ってください。
第一志望に合格することを祈っています。
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